いま起きている現象の観測
いま、社会のあらゆる場面で「信用」が数値として扱われている。
レビュー、フォロワー数、いいね、スコア、評価。
人の行動や信頼が、数値に変換され、記録され、比較されるようになった。
買い物サイトでは星の数が購買を左右し、
SNSではフォロワー数が影響力の指標になる。
就職活動では評価スコアや口コミが企業の信用を測る材料となり、
融資の可否さえ、信用スコアによって自動的に決まる仕組みが広がっている。
かつて人と人のあいだで自然に形成されていた「信頼関係」は、
いまやデータとして取引される“資産”に変わった。
信用を数値化した瞬間に、人間関係そのものが経済構造の一部へと組み込まれたのである。
なぜそれが起きるのか(価格・信用・立ち位置)
信用を数値化する動きの根底には、価格の透明化がある。
市場がグローバル化し、モノや情報が過剰に溢れる中で、
「何を買うか」よりも「誰から買うか」が重要になった。
しかし、“誰から”という関係性は目に見えない。
そのため、デジタル上で可視化する必要が生じた。
レビューやスコアは、信用を「取引可能な情報」に変える装置だった。
価格はこの数値化された信用に連動して動く。
評価の高い人が販売すれば価格が上がり、
低い人が提供すれば、同じ商品でも価格が下がる。
つまり価格とは、信用の写し鏡であり、
信用を流通させるための指標として機能している。
立ち位置としては、「信用を構築し続けられる人」が有利になった。
スコアやフォロワーを持つ人は、資本を持たずとも経済の中心に立てる。
一方で、数値化された世界では、“記録されない関係”が評価の外に置かれる。
人間関係の「非数値領域」が、経済の外縁へ押し出されていく構造でもある。
前提条件はどこで変わったか
この変化の起点は、信用の「可視化」と「蓄積」が同時に進んだ時期にある。
2000年代のインターネット普及期、人の評判はまだローカルなもので、
コミュニティの中だけで共有されていた。
しかしSNSの普及により、信用はプラットフォーム上に保存され、
誰でもアクセスできる「共通通貨」となった。
フォロワーやレビュー数は、その人の社会的な“信用残高”となり、
企業・個人を問わず、経済活動の指標として使われるようになった。
ここで前提が変わったのは、信用が私有ではなく公開情報になったという点だ。
信用がオープンデータ化されることで、
人間関係の価値が「数値で判断できる資産」へと転換された。
それは、人が人を信頼する行為が“取引”として組み込まれる瞬間だった。
この構造が続いた場合どうなるか
信用の数値化がさらに進むと、
人間関係はますます経済インフラの一部になっていく。
企業の信用格付けと同じように、個人の信用も常時更新される。
誰がどの程度信頼されているかが、リアルタイムで可視化される社会。
その結果、価格は「モノやサービスの価値」ではなく、
「誰が提供したか」に依存するようになる。
信用を持つ人は価格を決める力を得て、
信用を失った人は、価格競争に飲み込まれていく。
中長期的に見れば、社会全体が**“関係性の市場化”**に向かう。
個人の発信、つながり、会話、協力。
これまで経済の外にあった行為が、すべて“価値の生産”として換算される。
その一方で、経済化されない関係——たとえば家族や友情、
評価されることを前提にしない信頼——は、
希少でありながら、同時に社会の“余白”として残る可能性もある。
すべてが数値化されるほど、数値化されないものの価値が上がる。
判断は読者に渡す
信用を数値化することは、効率を高め、取引を透明にする。
同時に、人間関係を市場の中に組み込む構造でもある。
信頼が見えるようになった社会では、
誰もが「評価される側」と「評価する側」を同時に生きている。
数値としての信用が経済を動かす一方で、
数値の外にある信頼が、人間らしさを支えている。
どちらが正しいという話ではない。
私たちはいま、信用の数値と関係性のあいだに揺れる社会を生きている。
経済化された信頼の構造を観測することは、
これからの「人間らしさ」を見つめる行為でもある。

