正確な情報よりも「共感できる体感」が広がっている
ここ数年、「情報の信用」よりも「体験のリアリティ」に価値を感じる人が増えている。
SNSでは専門家の意見よりも、一般の個人が語る体験談や日常の記録のほうが拡散され、
動画では統計よりも“その人がどう感じたか”が視聴される。
たとえば、健康・美容・ライフスタイルの分野では、
論文に基づいた知識よりも「実際に試してよかった」という投稿が購買を動かす。
政治や社会問題でも、データ分析よりも、
「現場で見た」「体験した」という一次情報が注目されやすい。
つまり、情報の“正確さ”ではなく、“体感の共有度”が信頼の尺度になっている。
それは偶発的な現象ではなく、
情報の流れ方と人間の関係構造が変わった結果として現れているものだ。
信用の流れが「知識」から「体感」へと移動している
この構造を理解するには、
価格・信用・立ち位置の3つの変化を観測する必要がある。
① 価格の動き
情報の価格は下がっている。
検索すれば誰でも正確な情報にアクセスできるため、
「知識を持っていること」自体には価値がなくなった。
その代わり、実際に試した人や体感を語る人のコンテンツが価値を生む。
知識よりも、“経験を共有する時間”に価格がつくようになった。
オンライン講座やコミュニティの多くは、
情報を売っているようでいて、実際は“体験を共有する場”を売っている。
② 信用の蓄積
かつて信用は、権威・専門性・実績に蓄積されていた。
しかしいまは、発信の一貫性や日常の透明性に蓄積される。
フォロワーが求めているのは、正確な情報よりも「この人は嘘をつかない」という感覚。
そのため、情報の信頼度よりも、**人の“体感の信頼度”**が重視されるようになった。
③ 立ち位置の変化
この構造の中で有利なのは、
情報を一方的に発信する「上の立場」ではなく、
生活者として同じ視点で語る「並列の立場」の人だ。
“知っている人”よりも、“同じ場所に立てる人”が信用を集める。
情報を整理する人よりも、感じ取って共有する人が中心になる構造。
この3つが揃うことで、
「情報」ではなく「体感」が市場の中心に浮上している。
情報の「発信構造」と「信頼構造」が分離した時期
この変化の転換点は、SNSが“記録”から“共鳴”の場へと変わった時期にある。
2010年代前半、SNSはまだ個人の発信ツールとして使われていた。
だがアルゴリズムが“共感を優先的に拡散する”仕組みに変わったことで、
正確さよりも「反応されやすい体感」が可視化されるようになった。
同時に、専門家やメディアの“信用の独占”が崩れた。
誰もが発信できることで、
情報の権威は中央から分散し、個人の体験が“新しい一次情報”として流通した。
このとき前提が変わった。
情報の信頼は「正しいことを言っているか」ではなく、
「この人の体感が自分と近いか」で測られるようになった。
つまり、信用の軸が“正確性”から“親近性”にシフトした。
その瞬間、情報経済の中心は“真偽”ではなく“共鳴”に移動した。
以降、知識を語るよりも、感覚を共有する人が信用を集めるようになった。
体感経済が拡張する未来の構造
この構造が続くと、情報の経済は「体感経済」に近づいていく。
価格は情報の量ではなく、体感を再現できる度合いで決まるようになる。
たとえば、体験型ワークショップ、VRコンテンツ、コミュニティ。
これらは情報を教えるのではなく、
“体験の共有”を提供することで価格を生み出す。
体感を媒介する技術が進化するほど、
人々は知識よりも“感覚の再現”を求める。
信用はさらに分散化する。
専門家の監修よりも、「この人が感じたなら信じる」という信頼モデルが定着する。
それは危うさを孕むが、同時に「共感」を軸にした新しい信頼圏をつくる可能性もある。
立ち位置として有利なのは、
情報と体感の“橋渡し”ができる人。
データや知識を持ちながら、それを生活感や感情に落とし込める人だ。
AIが情報を整理し、人が体験を語る——
そんな分業が進む未来も想定される。
中長期的には、「体感」が社会全体の信頼基盤を形づくる。
情報が過剰になった今、人は“感じ取る力”で信頼を選別している。
この傾向は止まらず、
やがて経済も政治も、感覚のネットワークで動く構造に近づいていく。
判断は読者に委ねる
信用のある情報よりも体感の共有が重視される社会は、
正しさと共感が共存しない時代でもある。
データの信頼性よりも、
「誰がどう感じたか」が優先されることで、
社会はより柔らかく、同時に不安定になる。
しかしそれは、人間的な構造への回帰でもある。
知識の流通が限界を迎えたとき、
人は再び“体験の重み”に価値を見出した。
それが良いことか悪いことかを判断するのは、まだ早い。
ただひとつ言えるのは、
私たちはすでに「感じること」を通貨のように扱う社会を生きている、ということだ。
情報が溢れる今、
信頼されるのは「何を知っているか」ではなく、
「何を感じて、どう共有するか」。
社会の重心は、ゆっくりとその方向に移動している。

