ブログが流行の中心から外れて久しい。
動画やSNSが主流になり、多くの人が発信の場を移した。
それでも、ブログメディアは一定の形で残っている。
消えたのは、ブログそのものではなく、
集客や収益の装置として扱われた使い方だった。
構造としてのブログは、いまだ崩れていない。
プレイヤーが反応を追う一方で、
ブログは反応を求めなくても成立する。
書き手が前に出なくても、記事が残る。
評価がなくても、位置が保たれる。
繰り返し見られるのは、
発信と観測の間に置かれた空間としてのブログだ。
そこには、世界をどこから見るかを固定する作用がある。
多くの人が見落とすのは、
技術やアルゴリズムではなく、
「判断をどこに置いているか」という構造の方だ。
判断を外に預けなければ、場所は揺れない。
AIやSNSが加速するほど、
即時的な発信は増える。
その中で、ブログの静止性が際立つ。
動かないことが、構造を保つ。
変化の波を超えても、
ブログメディアは位置を失わない。
それは、装置ではなく、立ち位置として存在している

日常の中にある「小さな違和感」や「社会の変化」を、
一歩引いた視点で観測しています。
このブログは、学ぶためのものではありません。
前提条件と立ち位置のズレを観測し、
判断が狂い始める構造を、メディアとしてこの場に残しています。
