数字を見る。
反応を見る。
空気を見る。
評価を見る。
それらを判断の根拠に置くとき、判断は外へ移動する。
最初は楽だ。
考えずに済み、迷わずに済み、失敗しても言い訳ができる。
しかし、その瞬間から、立ち位置は静かに崩れ始める。
判断の起点が自分の外にあると、
動くたびに揺れが生まれる。
最初に起きるのは速度の低下だ。
反応を待ち、様子を見て、タイミングを測る。
自分で止まっているのに、状況が悪いと感じる。
次に、一貫性が失われる。
昨日の正解と今日の正解が変わる。
外が変わるたびに、基準も変わる。
やがて、疲労が蓄積する。
正解を追い、評価を気にし、ズレを恐れる。
これは能力の問題ではなく、構造の問題として現れる。
判断を外に預けた人は、プレイヤーになる。
指示がないと動けず、環境が悪いと止まる。
どれだけ実績があっても、消耗する。
判断を内側に置く人は、反応がなくても進む。
評価がなくても続く。
ズレても、元の位置に戻る。
この違いは、強さではない。
ただ、立ち位置の差として存在している。
外が騒がしくても、数字が動かなくても、
観測は置ける。
構造の中で、安定と不安定が自然に分かれていく。

日常の中にある「小さな違和感」や「社会の変化」を、
一歩引いた視点で観測しています。
このブログは、学ぶためのものではありません。
前提条件と立ち位置のズレを観測し、
判断が狂い始める構造を、メディアとしてこの場に残しています。
