恵方巻きが余るという現象
こんにちは、田野しーです
もうすぐ節分の時期ですね
節分の季節になると、スーパーやコンビニの棚に並ぶ恵方巻き
毎年のように売り場が作られ、予約受付や販促が行われる一方で、
当日を過ぎると、多くの恵方巻きが売れ残って廃棄されています。
推計によると、恵方巻きの経済効果は約730億円とされ、
節分を代表する季節商戦としての規模を持つ。
その一方で、約16億円分が食品ロスとして廃棄されているという。
「縁起」を生む構造の中に、「廃棄」を同時に含んでいる。
ニュースやSNSでは、売れ残った商品の写真とともに、
「もったいない」「仕方ない」という声が並ぶ。
誰かにとっての“幸運の象徴”が、
別の場所では“損失の象徴”になっている。
「縁起物」が成立してきた前提
恵方巻きはもともと、関西地方の風習だったとされる。
特定の方角を向いて、一本丸ごと食べることで願いが叶う。
その行為は「無言」「一気に」「恵方を向いて」という
一種の儀式のような形式を伴っていた。
やがて全国に広がったのは、
スーパーやコンビニによる販促がきっかけだった。
節分を「売れる行事」として拡張する。
そこには、**“縁起物は売れる”**という前提があった。
恵方巻きは「文化」から「商品」へと位置づけを変え、
その需要は一時的な季節消費のサイクルに組み込まれていった。
前提が変わり、見えてきたズレ
しかし、供給の拡大はやがて需要を上回った。
各社が同じタイミングで“売れる”と信じた結果、
販売量が膨らみ、余る構造が生まれた。
消費者の側も、「買うもの」から「買わされるもの」へと
感覚が変わり始めている。
行事に込められた意味より、
「売り場に並ぶものを消化する」意識が前面に出ている。
縁起物は、もともと“祈り”を形にしたものだったが、
大量販売の仕組みの中で、“祈り”と“廃棄”が同時に起きる矛盾が生まれた。
それは、幸運を願う行為の裏にある、
見えない構造的コストでもある。
定点に戻って見えること
恵方巻きの廃棄は、単なる食品ロスの問題ではなく、
「縁起」と「経済」が重なった構造のほころびでもある。
かつては“願い”を中心にあった風習が、
“売上”を中心に再構築され、
前提が入れ替わったまま続いている。
恵方を向くその瞬間に、
誰もが「幸運」を願っている。
けれど、その裏側では、
“余った幸運”が静かに積み重なっている。
判断を変える前に、
前提と立ち位置を
確認出来ます。

日常の中にある「小さな違和感」や「社会の変化」を、
一歩引いた視点で観測しています。
このブログは、学ぶためのものではありません。
前提条件と立ち位置のズレを観測し、
判断が狂い始める構造を、メディアとしてこの場に残しています。
