AIが文章を書き、画像を作り、情報を処理するようになった。
かつて人が担っていた実行の領域が、静かに置き換えられている。
AIが得意なのは、正解に近づくこと。
誤りを減らし、速く、安く、多く出す。
それに比例して、人の役割は外側へ押し出される。
観測されるのは、役割の分岐だ。
AIに指示を出す側と、AIに使われる側。
この差は能力ではなく、立ち位置の違いとして現れている。
プレイヤーは、目的と指示を必要とする。
正解を探し、結果を求める。
AIが賢くなるほど、その動きは鈍くなる。
一方で、メディア側は、
何を観測するか、どこに立つか、何を残すかを決めている。
実行は人でもAIでも変わらない。
AI時代に増えているのは、作業者ではない。
編集者、観測者、立ち位置を決める人間。
反応や評価ではなく、位置を選ぶ構造が広がっている。
多くの人が見落とすのは、
メディア側が「発信力」や「影響力」を指していないことだ。
判断をどこに置いているか、という位置の話である。
正解が量産されるほど、正解の価値は下がる。
残るのは、どこから見ているか。
外が変化しても、立ち位置が揺れない構造だけが残る。
メディア側が増えているのは、
人が賢くなったからではない。
疲弊を避ける構造として、自然にそうなっている。

日常の中にある「小さな違和感」や「社会の変化」を、
一歩引いた視点で観測しています。
このブログは、学ぶためのものではありません。
前提条件と立ち位置のズレを観測し、
判断が狂い始める構造を、メディアとしてこの場に残しています。

