SNSでは、発信が続く。
毎日、何かを伝え、動かし、届けようとする。
反応は数値化され、動きが目に見える。
発信を続ける人は、やがて内容よりも「届き方」を見るようになる。
誰が反応したか、どの言葉が伸びたか。
そこに繰り返し現れる構造がある。
中心は、常に動く。
観測者の位置とプレイヤーの位置がずれていく。
自分を映す鏡が、観客の中に移動していく。
疲労は、情報量や作業量の問題ではなく、
立ち位置が変化することによって起きる。
動き続けるほど、どこに立っているかが見えなくなる。
多くの人が見落とすのは、
「行動」ではなく「位置」による摩擦だ。
発信のエネルギーは、視線の方向で減っていく。
構造の中では、疲労もまた自然な流れの一部にある。
中心を保とうとするとき、それは必ず発生する。

日常の中にある「小さな違和感」や「社会の変化」を、
一歩引いた視点で観測しています。
このブログは、学ぶためのものではありません。
前提条件と立ち位置のズレを観測し、
判断が狂い始める構造を、メディアとしてこの場に残しています。
