読むという行為が止まる瞬間を想像する
こんにちは、田野しーです。
いま、電子書籍は生活の一部になっている。
通勤の電車で、ベッドの中で、ワンタップで本を開く。
本棚を持たないことが当たり前になり、
“読む”という行為はデータを介した行動になった。
もし、ある日突然そのサービスが止まったら?
電源が入らない、サーバーが落ちる、契約が終了する。
そこにあるのは「一冊の本を失う」ではなく、
「読み続けていた記録が消える」という感覚だろう。
便利さの中に、微かに不安が混ざる。
電子の「便利さ」を支えていた前提
電子書籍が広がった背景には、
「いつでも・どこでも・すぐ読める」という前提があった。
紙のように場所を取らず、買えばすぐに手元に届く。
さらに、クラウドや端末によって“所有”より“アクセス”が主流になった。
この前提は、“データがずっとそこにある”という信頼の上に成り立っている。
目に見えないサーバーが、読書の継続性を支える。
私たちは知らないうちに、
「読めること」を“当然の権利”として受け入れてきた。
前提が揺らいだときに生まれる違和感
もし、その信頼の仕組みが止まったとき、
便利さは一瞬で不便に変わる。
電子書籍は“持っている”のではなく、“借りている”構造だからだ。
本を購入したつもりでいても、
実際には“貸本(資本)”に近い形態にある。
所有しているのはデータではなく、
「その本へアクセスできる権利」に過ぎない。
また、購入場所が違えば同じ本棚には並ばない。
同じ作品でも、異なるプラットフォームをまたぐと一つの棚にならない。
それは、便利に見えて分断された“読書空間”でもある。
サービスの終了やアカウント停止によって、
自分の“本棚”が消える可能性がある。
そのとき初めて、「自分のものではなかった」という事実が浮かび上がる。
一度、立ち止まって見えること
電子書籍が止まるという想定は、
極端な未来ではなく、構造上いつでも起こりうる現象だ。
それは技術の問題ではなく、
「便利さをどこまで預けているか」という設計の問題でもある。
私たちは本を“読む自由”を拡張してきたが、
同時に“読む環境”への依存も深めている。
その違和感は、便利の中に潜む“静かなリスク”の形をしている。

日常の中にある「小さな違和感」や「社会の変化」を、
一歩引いた視点で観測しています。
このブログは、学ぶためのものではありません。
前提条件と立ち位置のズレを観測し、
判断が狂い始める構造を、メディアとしてこの場に残しています。

